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冨山房』昭和7年10月発行より

維新前後から明治20年頃にいたるまでの日本は、海外の文明を摂取して新しい日本を建設することに急であった。いわゆる文明開化という言葉は、当時の識者にも一般の人々にも快い響を与えたのである。明治6年創刊の「明六雑誌」第一号に西周がローマ字採用の利益と可能性とを説いているのに徴しても、その風潮を察することができるであろう。
この時代の出版界の主潮も、やはりここにあったとみてよいであろう。明治元年に出た福沢諭吉の「西洋事情」にしても、「世界國盡」(明治2年)、「學問のすゝめ」(5年)にしても、中村正直の「西國立志篇」にしても、みなこの風潮の先駆であった。福沢諭吉には他に注意すべき著書として「窮理圖解」があるが、これは理学の通俗化普及化を試みたものであった。彼が先駆者として明治初期の出版界に印した功績は大きい。

この時期における政治・経済・法律方面の出版の目ぼしいものをあげてみると次のようなものがある。

【明治6年】
大井憲太郎訳「佛國政典」、林包明訳「英國憲法」、同「合衆國憲法」、星亨訳「英國法律全書」

【明治8年】
何禮之訳「萬法精理」(モンテスキュー)、鈴木唯一訳「律例精義」第一巻(モンテスキュー)、永峯秀樹訳「代議政體」(ミル)

【明治9年】
中村正直訳「自由の理」(ミル)、大井憲太郎訳「佛國州法」、田中耕造訳「佛國行政法」
以上はほんの著しいものの二、三であるが、この方面の出版は次の第一統計表が示す如く、その数において断然他を圧倒している。

これに反して文学方面には、齋藤了庵訳の「魯敏遜全傳」(5年)、渡部温訳「伊蘇普物語」(6年)、永峯秀樹訳「暴夜(アラビヤ)物語」(8年)などの翻訳文学、假名垣魯文の「西洋道中膝栗毛」(3年)及び「安愚樂鍋」(4年)、「胡瓜遺」(5年)などの創作があったが、質においても量においてもまことに淋しい有様であった。
ここに明治元年より10年までの単行本の統計をあげてみよう。

■第一表

一 数年にわたって完結したものは、初巻の出版年に加算した。
以下掲げる諸統計は凡てこれに倣う。

文 学 科 学 教 育 政治・経済
法律・社会
宗 教 雑 史
明治元年 0 1 0 78 2 36
2年 1 11 2 77 8 26
3年 3 3 2 31 1 4
4年 8 12 0 59 2 33
5年 14 43 0 80 9 17
6年 8 41 28 143 46 42
7年 8 34 13 131 76 61
8年 4 14 8 277 16 44
9年 4 10 15 186 7 37
10年 2 46 11 193 16 58
合 計 52 215 79 1255 183 358

次 に、明治初年から10年頃までの新聞紙の主なものをあげると次のようであろう。
明治元年創刊-「藻藍草」(岸田吟香)
5年創刊 -「東京日日新聞」(落合芳幾、條野傳平、西田傳助)、「日新眞事誌」(英国人ブラック)、「郵便報 知新聞」(前島密、小西義敬)
7年創刊 -「朝野新聞」(成島柳北)、「讀賣新聞」(本野盛享)
他に雑誌としては明治6年創刊の「明六雑誌」(森有禮、加藤弘之)があるが、これは注目すべきものである。

■第二表

新聞紙 雑 誌
明治元年 19 4 23
2年 10 3 13
3年 2 0 2
4年 14 0 14
5年 38 2 40
6年 40 5 45
7年 15 13 28
8年 26 26 52
9年 24 51 75
10年 38 87 125
合 計 226 191 417

ここで次の十年間の出版界を概観しよう。明治10年から20年にかけての政治・法律・経済方面の出版書は、23年の国会開設を控えていたためか目ぼしいものが多く、質においてもすぐれている。いま著名なものをあげてみよう。

【明治15年】
中江兆民訳「民約譯解」(ルソー)、平賀信恭訳「政體新論」(ラブレー)、鳩山和夫著「會議法」、藤田四郎訳「歐州代議政體起源史」(ギゾー)、尾崎行雄訳「英國議員政治論」(トッド)

【明治16年】
宮城政明訳「代議政體論覆義」(スペンサー)、小野梓著「國憲汎論」上中巻(これは冨山房の前身東洋館の発行)

【明治17年】
高田早苗著「英國行政法」、小野梓著「民法之骨」(東洋館発行)

【明治18年】
小野梓著「國憲汎論」下巻(東洋館発行)

【明治19年】
平沼淑郎訳「獨佛英三國官制」、星亨纂述「各國國會要覧」、天野為之「經濟原論」(冨山房発行)
特に「經濟原論」は冨山房の処女出版で、後年大を致すその第一歩を踏み出したものであった。

【明治20年】
中江兆民著「平民の目ざまし一名國會の心得」、高田早苗著「代議政體論」
この時期の学術的な出版物を統計的に示すと次のようになる。

■第三表

政 治 法 律 憲 政 社 会 経 済 宗 教 雑 史 教 育 科 学
明治11年 46 53 12 4 102 7 39 6 39
12年 64 26 20 1 48 12 36 8 27
13年 51 48 24 1 17 9 60 7 31
14年 30 24 5 8 69 29 39 6 5
15年 88 59 15 20 57 25 64 14 18
16年 91 55 33 14 22 不明 36 22 15
17年 43 17 10 2 60 15 13 45
18年 13 25 4 1 27 11 28 10
19年 44 34 14 1 41 20 19 18
20年 64 34 22 17 24 49 27 31
合 計 534 375 159 69 467 369 150 239

次に文学方面であるが、この時期に、いわゆる政治小説の多いことは注目しなければならない。国会開設の運動にいくらかは刺激されたとも見るべきであろうか、また作者たちが実際的にも筆をもっても政治に関係の深い人たちであったせいでもあろうか、とにかく珍しい時代であった。明治16年に出た柴四朗の「佳人の奇遇」、矢野龍溪の「經國美談」をはじめ、末廣鐵腸の「雪中梅」(19年)、同じく「花間鶯」(20年)などはその最も特徴的なものであった。
翻訳文学にしても、この時期のものは純文学的なものよりも政治的な匂いのあるものが選ばれている。

【明治11年】
丹羽純一郎訳「歐州奇事花柳春話」(リットンの「アーネスト・マルトラヴァス」の訳)

【明治13年】
井上勤訳「月世界旅行」(ジュール・ヴェルヌ)、橘顯三(坪内逍遥の仮名)訳「春風情話」(スコット)、井上勤訳「龍動奇談」(リットン)

【 明治14年】
松岡龜雄訳「佛國情話五九節操史」(ヂューマ)

【 明治15年】
井上勤訳「良政府談」(トマス・モーアの「ユートピア」)、宮崎夢柳訳「自由の凱歌」(ヂューマ)

【 明治16年】
井上勤訳「人肉質入裁判」(ラムの沙翁物語から)

【 明治17年】
關直彦訳「春鶯囀」(ビーコンスフィールド)、坪内逍遥訳「該撒(シーザル)奇談別名自由太刀餘波鋭鋒」(シェイクスピアの「シーザー」)

【 明治18年】
坪内逍遥訳「慨世士傳」前(リットン)

【明治19年】
佐野尚訳「十日物語想失戀」(ボッカチオの「デカメロン」)、森禮訳「北歐血戰餘塵」(トルストイの「戦争と平和」)

【 明治20年】
木下新三郎訳「西洋娘節用」(シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」)、香夢樓主人訳「波斯新説烈女の名誉」(アラビアンナイト)、關直彦訳「西洋復讐奇譚」ヂューマの「モンテ・クリスト」)

ここにあげたものは、数多い翻訳の中から著しいものをほんの少しあげたにすぎない。ところがこの時期に新しい日本の純文学の先駆として忘れることのできないものが現れた。
まず第一にあげなければならないのは、坪内逍遥の「小説神髄」二巻(明治18、19年)であって、これは新しい文学理論の誕生ともいうべきものである。「小説神髄」は、文学が如何なる主張と態度とによって物さるべきかを究明したものであって、周到なる理論と体系とを以って文芸全般を規定した明治時代最初の文芸理論であった。「小説神髄」と同じ頃に出た逍遥の「一讀三嘆當世書生氣質」は、前者が明治時代の文芸理論の嚆矢であったように、写実小説の最初の典型であった。20年に出た二葉亭の「浮雲」は、逍遥によって主唱された思想を具体的に示したものと認められている。
文芸の理論の誕生があったこの時期に、新しい詩歌の運動が生まれたことはまことに興味深い。外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎ら相寄って新体詩を主張し、翻訳にまた創作にその主唱するところを示して世に問うた。この方面の出版の主なものを次に列挙してみよう。
【 明治14年】
文部省音楽取調係編「小學唱歌集」第一集

【 明治15年】
外山正一・井上哲次郎・矢田部良吉合著「新體詩抄」初篇

【 明治16年】
文部省音楽取調係編「小學唱歌集」第二集

【 明治18年】
湯淺半月著「十二の石塚」

【 明治19年】
山田美妙「新體詞選」、大和田建樹「唱歌」
明治10年より20年にいたるまでに出版された文芸作品を統計で示すと次のようになる。

■第四表

創 作 翻 訳
明治11年 13 15 28
12年 15 16 31
13年 36 23 59
14年 21 4 25
15年 27 13 40
16年 56 12 68
17年 58 16 74
18年 29 18 47
19年 36 36 118
20年 38 80 562

最後に、この時期に現れた雑誌と、有名な論客が筆陣を張った新聞の主なものの名と、それによった論客をあげてみよう。
朝野新聞(末廣鐵腸、成島柳北)、郵便報知新聞(矢野文雄、藤田茂吉、箕浦勝人、尾崎行雄、犬養毅)、東京横濱毎日新聞(沼間守一、島田三郎、肥塚龍)、東京日日新聞(福地源一郎)

雑誌には、

【 明治12年】
歌舞伎新報 東洋經濟雑誌

【 明治13年】
六合雑誌 教育新誌 地學雑誌

【 明治20年】
反省雑誌(中央公論の前身)

などが創刊された。

■第五表

新 聞 雑 誌
明治11年 29 51 80
12年 29 68 97
13年 38 78 116
14年 47 48 95
15年 74 34 108
16年 28 47 75
17年 22 23 45
18年 12 36 48
19年 19 31 50
20年 15 40 55
合 計 313 456 769

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