「地球と生きる─災害と向き合う知恵」

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当居宅より10数キロの所に風船爆弾の打ち上げ基地があったので興味があった。当時小学4年生でしたが軍部の統制の下知る由もなかった。すべて秘密で行われた。 81歳 男性 茨城県


今の住地茨城県北部と生地九州小倉の「縁」に驚いています。そしてまた、放射能との「縁」です。著者は私よりほんの10歳年上の方のようですが、よく調べて書いて頂きました。 茨城県に住んで40数年、近年すぐ北の北茨城市五浦の海岸近くの台地上から「風船爆弾」が放出されていたことを知りました。今、長浜海岸に記念碑が建っています。生まれ故郷は九州(旧)小倉市です。亡父は小倉陸軍造兵廠に勤めていたと聞きました。昨年、終活旅行として小倉、広島を訪ねました。高校の2、3年生が広島でした。小倉北区大手町の造兵廠跡に看板があり、、工場配置図に「風船爆弾組立工場」という名前もありました。小倉にお住いの見ず知らずの方(高齢女性)のブログで「女学生の頃、造兵廠に本町門から通っていた。何に使うか知らず、和紙をノリで貼る作業をした」とありました。長崎市の原爆が小倉市を狙っていた意味も分かりました。今は福島の放射能が心配です。 69歳 男性 茨城県


東京江戸博物館に模型が陳列してあった。こんにゃくノリでつけるというのが、不思議だった。今回6名の死者がでたことはもちろん初めて知った。ヒロシマ、ナガサキの件、帰ってこなかった父と兄。若者に敬意を表して。 73歳


私は今、横浜に住んでいますが、今年の2月までは秋田市に住んでおり、そこの女学校から、学徒動員で柏模原陸軍造兵廠での風船爆弾㋫作戦に参加したものです。女学校3年生でした。4年生はそこで卒業式をやって秋田へ帰り、私たちは残って、戦車のキャタピラの部品を作りました。私は廠長さんの原乙三中将から中将から「戦国乙女として他の模範である、と賞状をもらいました。3月10日の空襲も見ました。㋫これを作った私たちは、どうなったか、わからず心配していましたが、この本で安心しました。㋫を作った仲間に回し読みします。 89歳 女性 神奈川県


本書を見て思ったこと、風船爆弾が如何にして作成されたか、爆弾をなしている原料は如何にしてつくられたか、実は私は学徒動員して海軍の工場に動員されそこでオキシュールの濃縮をフラスコを使って原料が10%以内のものを濃縮により90%以上となり、これを爆発の主な原料となっている事、できたら製造工程をもっと詳しく書いてほしいと思いました。後でかなりの爆弾が米国の西海岸に着地して教会の建物に引っ掛かり、取り外そうとした神父さんが負傷されたと聞きました。濃縮されたオキシュールは紙とか木につくと発火する威力を持っていた事を付け加えます。89歳 男性 三重県


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