――明治からの精神を未来へつなぐ――
(合資会社)冨山房を設立した坂本嘉治馬は、慶應二年(一八六六)三月二十三日、土佐・宿毛に生まれた。十八歳で上京し、同郷の先輩小野梓(東京専門学校を創立し、早稲田大学の礎石を築いた功労者)が主宰し、書物を出版する東洋館の門をくぐり、出版の業を学ぶ。しかし小野氏は公事多忙加うるに病のため、東洋館の経営はほとんど若年の坂本に負荷するところとなった。明治十九年一月、小野氏逝いて、館の事業も廃絶したが、坂本は屈せず、あくまで先師の遺業を大成する志を決し、小野氏の義兄、日本鉄道会社社長小野義眞氏により初金二百円の資本を獲て、明治十九年(一八八六)三月一日独立、神田神保町に冨山房を創立する。
爾来五十有余年、専心斯業の向上につとめ、教学に益する書籍の刊行に力を濯ぎ、「大日本地名辞書」「大言海」「漢文大系」「大日本国語辞典」「日本家庭大百科事彙」「仏教大辞彙」「国民百科大辞典」「冨山房大英和辞典」等の辞典、普通図書、教科書併せて三千余点、画期的の事功を挙げ広く国民に知られるところとなった。
その後、冨山房は、嘉治馬の逝去により、長男守正が二代目社長に就任、守正の逝去により長男起一が三代目に就任、その後、次男嘉廣が四代目社長に就任し、現在に至る。
この傍ら嘉治馬は、故郷宿毛市に昭和四年、私立坂本図書館を設立し、二代目によって寄贈、現在は宿毛市立坂本図書館として、多くの人に利用されている。
昭和十二年、坂本嘉治馬は私財を投じて財団法人坂本報效会を設立して、学術文化の振興に尽くした。同会はその後、平成十六年より、四代目坂本嘉廣(株式会社冨山房インターナショナル会長)が理事長に就任し、嘉治馬の志を継承、子供たちのための出版普及、タグラグビーを広める運動、日野原重明氏の講演会等、幅広い活動をしている。
一方、坂本嘉廣は、インターナショナルな時代の要請に応えるべく、平成五年には株式会社冨山房インターナショナルを新たに設立し、その代表となり、平成十八年には事業の効率化を目指すべく、大正九年以来、冨山房グループの一員として印刷事業を行ってきた内外印刷株式会社(本社京都)を統合した。
平成二十年、社業の発展に伴い、坂本嘉廣が会長に、新たに坂本喜久子(喜杏)が代表取締役社長に就任し、今日に至る。
冨山房インターナショナルは、新刊を出版する任とともに、明治、大正等戦前の冨山房出版物の復刻、再版も行っている。思えば、創立者坂本嘉治馬が崇高な理想を抱いて東京神保町に冨山房を創業以来、百三十六年、内外印刷創立九十七年、冨山房インターナショナル創立二十八年を数え、絶えることなくその精神を継承しつつ、課せられた社会的使命を全うすべく、社員一同鋭意努力している。 |